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れを和解せしむる爲めに大友家の方へは久我大納言を
 
れを和解せしむる爲めに大友家の方へは久我大納言を
 
遣はされ、毛利家へは聖護院道増法親王がお下りにな
 
遣はされ、毛利家へは聖護院道増法親王がお下りにな
つた、其時に毛利家に於ては彼の島田良義の
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つた、其時に毛利家に於ては彼の島田良義の裔孫たる
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良盛と云ふ者に命じて道増法親王のお弟子にならしめ
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て、修験道を修行させ常に親王のお側におき、夫で京
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2014年5月31日 (土) 14:56時点における版

島田蕃根翁

島田蕃根翁延壽會編

第一編

第一章 翁の傅記

一、島田蕃根翁の生涯

大内靑巒演説

今日は、島田蕃根翁の延壽會と云ふ事で、私に、開會 の辞を述べると云ふ幹事さんからの御注文であります から、何か翁の經歴性行等に就いては、茲に御 列席のお方はほぼ御承知の事であらうと思つて、只一 言今日茲に此會を開くにいたりました次第を述べてお かうと思ひます、併し兎に角一應翁の系圓のことか ら、お話をしておきたいが、實は二三週前から、調べて おくと宜しいのでしたが、急に調べに懸つたことであ

りますから其お積りで、お聴きを願ひたい、

先づ翁の系圓を調べてみるとずつと前のことはわかり かねるが、南朝の頃から明らかになつて居ります、即 ち後醍醐天皇の皇子懐良親王の臣に島田良義といふ人 があつて、親王に供奉して中國へ下つた時に病氣の爲 に、心ならずも、藝州に留りひさしく其處で療養をし て居つたが、終に歸参の機會もなく後に至つて、毛利 家に仕へることになつたが、是が翁の家の遠祖であり ます、其後永禄五年に、毛利元就と大友宗麟とが隙を 生じて、既に戦争にならうとした時に、朝廷に於てこ れを和解せしむる爲めに大友家の方へは久我大納言を 遣はされ、毛利家へは聖護院道増法親王がお下りにな つた、其時に毛利家に於ては彼の島田良義の裔孫たる 良盛と云ふ者に命じて道増法親王のお弟子にならしめ て、修験道を修行させ常に親王のお側におき、夫で京 都即ち朝廷と藝州毛利家との間に斡旋させたのが、即 ち翁の家が修験道俗に申す山伏になつた始めであると 云ふことである、 <trjpft> 「島田蕃根翁」: 前頁 | 次頁 近代デジタルライブラリーの当該頁へ <astyle><gstyle>新旧字混在</gstyle><kstyle>仮名遣い混在</kstyle><tstyle>Wikiのみ</tstyle></astyle> </trjpft>