Info:ndljp/pid/1720139/14

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あつた。日《ひ》も已《すで》に暮《く》れて、天《あま》の川《かは》一《ひと》すぢが、せめてふるさとへ通《かよ》ふかと思《おも》ふばかりである。行《ゆ》く人《ひと》も絶《た》えた橋上《はしうへ》を今宵《こよひ》の宿《やどり》と一|酔《すひ》の夢《ゆめ》に入《はい》つた。と間《ま》もなく夢《ゆめ》を破《やぶ》るひやりとした、冷《つめ》たきものが、わが足《あし》に触《ふ》れた。気丈《きぢやう》の丸《まる》は身《み》を起《おこ》して、其《その》冷《つめ》たきものをしかと握《にぎつ》た。

 蜂須賀小《はちすかこ》六の一|党《たう》が仕事《しごと》を了《お》へて帰《かへ》る道《みち》すがらである。丸《まる》が今《いま》握《にぎ》つたのは、頭梁《とうれう》小《こ》六の槍柄《やりえ》であつた。 丸『無礼《ぶれい》な奴《やつ》だ、他人《たにん》の眠《ねむり》りを妨《さまた》げる』

[#「金剛石丸矢はぎ橋上で小六に会ふ。」のキャプション付きの図入る]

 小《こ》六はこんな小僧《こざう》が、槍柄《やりえ》をつかむさへ意外《いぐわい》に感《かん》じた。然《しか》しそれは小僧《こざう》が寝《ね》ぼけたのだナと判断《はんだん》してゐた。ところへ小僧《こざう》の人《ひと》もなげなるとがめ立《だ》てには少《すくな》からず驚《おどろ》いた。驚《おどろ》きは即時《そくじ》に怒《いかり》となつて、小僧《こざう》をにらみつけた。にらみつけた小《こ》六の怒《いかり》は、再《ふたゝ》び驚《おどろき》となつた。驚畏《きやうゐ》となつた。見《み》よ小僧《こざう》の燦爛《さんらん》たる輝《かゞや》き、太白《たいはく》よりも鋭《するど》く、月《つき》よりも清《きよ》い。並々《なみ/\》の小僧《こざう》ではないと知《し》つた小《こ》六は、金剛石丸《こんがうせきまる》をすゝめて、我《わ》が家《や》に連《つ》れ戻《もど》つた。

 丸《まる》は小《こ》六の家《いへ》をしばらくの宿《やど》と心得《こゝろえ》てゐた。或日《あるひ》の事《こと》、小《こ》六は自分《じぶん》が重宝《ぢうほう》としてゐる大刀《おほがたな》を丸《まる》に示《しめ》して、之《これ》を若《も》しお前《まへ》が今夜《こんや》盗《ぬす》んだなら、褒美《ほうび》にやつてしまふと言《い》ひ出《だ》した。小《こ》六は丸《まる》の智恵《ちえ》を試《ため》さうとしたのである。

 其夜《そのよ》は雨《あめ》が降《ふ》つた。小《こ》六が自分《じぶん》の部屋《へや》に居《ゐ》ると、笠《かさ》を打《う》つ雨《あめ》の音《おと》が戸外《そと》に聞《き》こえた。金剛石丸《こんがうせきまる》が笠《かさ》をかぶつて、刀《かたな》を取《と》りにやつて来《き》たなと彼《かれ》は気《き》が付《つ》いたから、目《め》を皿《さら》のやうにし、刀《かたな》を両手《れうて》に握《にぎ》つて、そら来《こ》いと待《ま》つてゐた。丸《まる》は中々《なか/\》入《はい》つて来《こ》ない。今《いま》か今《いま》かと小《こ》六は中《なか》で待《ま》つてゐること半時《はんとき》、一時《ひとゝき》、遂《つひ》に三時《みとき》、四時《よとき》、小《こ》六は段々《だんだん》と居《ゐ》ねむりを始《はじ》めた。笠《かさ》を打《う》つ雨《あめ》の音《おと》はまだやまぬ。丸《まる》は何《なに》をしてゐるんだらう。

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