Info:ndljp/pid/1720139/15

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 小《こ》六から刀《かたな》を盗《ぬす》めと言《い》はれたについて、金剛石丸《こんがうせきまる》は、一|枚《まい》の笠《かさ》を小《こ》六の部屋《へや》に近《ちか》く窓外《そうぐわい》の木《き》の上《うへ》に載《の》せて、雨《あめ》のかかるやうにして置《お》いた。此《この》音《おと》を小《こ》六は丸《まる》が笠《かさ》をかぶつて来《き》たのだナと思《おも》つた。実《じつ》は丸《まる》は笠《かさ》などをかぶつては居《ゐ》ない。已《すで》に小《こ》六の部屋《へや》の隅《すみ》に忍《しの》び込《こ》んで、小《こ》六が居《ゐ》ねむりをするのを待《ま》つてゐた。読者《どくしや》は金剛石丸《こんがうせきまる》は夜光《やくわう》の珠《たま》である故《ゆゑ》に、其《その》光《ひかり》は闇《やみ》にも小《こ》六が気《き》が付《つく》であらうと心配《しんぱい》さるるかも知《し》れない。其事《そのこと》は金剛石丸《こんがうせきまる》も同様《どうやう》に心配《しんぱい》してゐたのであるから、彼《かれ》は小《こ》六の部屋《へや》に忍《しの》ぶ時《とき》には姿《すがた》を全《まつた》く変《へん》じたのでありました。我《わ》が身《み》を黒《くろ》い石墨[#「石墨」に傍点]に変《へん》じてゐたのでした。金剛石丸《こんがうせきまる》が我《わ》が身《み》を強力《きやうりよく》な電火《でんくわ》の如《ごと》き、高熱中《かうねつちう》に投《たう》じますと、少《すこ》しくからだが膨《ふく》れると共《とも》に、今迄《いままで》の光《ひかり》は消《き》えて、彼《あ》の黒《くろ》い滑《なめら》かな、鉛筆《えんぴつ》の心《しん》になつて坊《ぼつ》チヤン嬢《ぢやう》チヤンが字《じ》や画《ゑ》をかく手伝《てつだひ》をしてゐる石墨《せきぼく》に化《ば》けてしまふのです。まさかにこんな術《じゆつ》まで彼《かれ》にあらうとは小《こ》六も知《し》りませんから、部屋《へや》の隅《すみ》に座《ざ》してゐた金剛石丸《こんがうせきまる》の姿《すがた》には、全《まつた》く気《き》がつかず、唯々《たゞ/\》戸外《そと》の笠《かさ》打《う》つ雨音《あまおと》にのみ気《き》を疲《つか》らし、とうとう刀《かたな》を握《にぎ》る手《て》も緩《ゆる》めて寝入《ねい》つてしまひました。

 此《こ》の先《さ》きはお話《はな》しするまでもありません。刀《かたな》は金剛石丸《こんがうせきまる》の手《て》に渡《わた》つて、再《ふたゝ》び小《こ》六が目《め》をさまし、ハツと思《おも》つて掌《て》を握《にぎ》つた時《とき》には、掌《て》の中《なか》には、汗《あせ》のみが残《のこ》つてゐたのです。小《こ》六も此《これ》には冷汗《ひやあせ》をかいたことでせう。

  【三】金剛石丸坊主となる事

 世は麻《あさ》の如《ごと》く乱《みだ》れ、群雄《ぐんゆう》各地《かくち》に拠《よ》つて、夫々《それ/″\》武《ぶ》を練《ね》つてゐた此《この》時代《じだい》に、学問《がくもん》の事《こと》などを顧《かへりみ》るものは一人《ひとり》もゐませんでした。只《たゞ》僧侶《さうりよ》だけはさすがに世《よ》の風潮《ふうてう》に犯《をか》されず、昔《むかし》からの学問《がくもん》の道《みち》を志《こゝろざ》してゐました。金剛石丸《こんがうせきまる》も蜂須賀《はちすか》の家《いへ》に居《ゐ》たのでは、学問《がくもん》なぞは全《まつた》く薬《くすり》にしたくも手《て》に入《はい》らない事《こと》に気《き》がつき、其《その》家《いへ》を出《い》てゝ或《ある》寺《てら》に寄寓《きぐう》することになりました。

 其頃《そのころ》の彼《かれ》は、小《こ》六の家《いへ》で石墨《せきぼく》の黒《くろ》い姿《すがた》に身《み》を変《か》へたまゝにして居《ゐ》たものであるから、墨染《すみぞめ》の僧衣《ころも》がよく似合《にあ》ひました。墨染《すみぞめ》といふと有難《ありがた》さうに聞こえますが、彼《かれ》が与《あた》へられた古衣《ふるごろも》は、墨《すみ》の色《いろ》は幾度《いくど》かの洗濯《せんたく》にとうに無《な》くなり、僅《わづ》かに灰色《はひいろ》が残《のこ》つてるだけの衣《ころも》でした。彼《かれ》の外《ほか》にも此《この》灰色染《はひいろぞめ》の衣《ころも》を着《き》てる仲間《なかま》は六七|名《めい》ありましたが何《いづ》

<trjpft> 「炭素太功記 : 理科読本」: 前頁 | 次頁 近代デジタルライブラリーの当該頁へ <astyle><gstyle>新字</gstyle><kstyle>旧仮名</kstyle><tstyle>青空</tstyle></astyle> </trjpft>