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五、雑。

とし、其經の方を、更に

一、大乗經華厳部 二百三十三巻 二、 同 方等部 千百三十八巻 三、 同 般若部 七百四十七巻 四、 同 法華部 五十七巻 五、 同 涅槃部 百二十一巻 六、 小乗經 七百七十八巻

に別けたのは、實に天台の主張を基として、蘊益大師 の立てられた順序で、猶此外律以下は、

七、 大乗律 四十九巻 八、 小乗律 四百九十六巻 九、 印度大乗宗經論 四百四巻 十、 印度大乗釋經論 百八十三巻 十一、 印度大乗諸論釋 七十七巻 十二、 印度小乗論 七百二十二巻 十三、 印度撰述部與外論 百六十七巻 十四、 秘密部 九百四十一巻

十五、 支那撰述經疏部 五百八十七巻 十六、 支那撰述論疏部 二十八巻 十七、 支那撰述懺悔部 二十五巻 十八、 支那撰述諸宗部 六百十七巻 十九、 支那撰述傳記部 二百二十二巻 二十、 支那撰述纂集部 二百八十巻 廿一、 支那護教部 百五十六巻 廿二、 支那撰述目録部 百七十四巻 廿三、 支那撰述音義部 百二十巻 廿四、 支那撰述序讃詩歌部 百二十巻 廿五、 日本撰述諸宗部 六十六巻

だけを分ち、各々取捨して、發行した數が合計四十帙 で四百十九冊、千九百四十五部、八千五百六十二巻、 二十五類に分たれております、此順序は主として、私 が主唱したので、中には、明藏に依つて順序を立てた いと云つたものもありましたが、幸に私の主張か通つ て、今日のやうに定まつたのであります、

十、 拾遺

種々込み入つた事情や、弘教書院の末路などは、今 ここでお話し申す必要もない、併し世間では、弘教書院 は餘程儲けたやうに云つて居ますが、勿論、私のやう な人間には商業のことなどは解りませぬが、其外の人等 は、執?も利益を謀つて居る商人ですから、イクラか 儲かつたでしやうが、何にしても此の大出版が、明治 の西南戦争の後、直に起つて、成効したことは、記憶し て置きたい所です、中々今日でも容易に出来ないことを 為上げたのですから、其の功だけは、見て貰はんけれ ばならぬ、

 ああ、今、考へて見ると、實に此の事業の成功まで には、何程の苦労をしましたらう、『大藏經』の刻藏縁 起などは、初め私が立派に「島田蕃根識」と書いて居 たのですが、事情の爲に、全く主幹者の名も傳はらす、 四百餘冊の隅から隅まで探して見ても、弘教書院は誰 が作つて、誰が此の大出版を為し遂げたか解つて居ま せぬ、人間の情實は、妙なものです、

併しながら、あの大藏經は、五號活字で刷つたもの

ですから、少し細か過ぎて、随分困る人もありさうで、 殊に誤謬も少くないやうですから、是非一つ大い活字 で更に刷り直さうと思つて、支那人と相談して見たこと があり、此通り(實物を示して)縁起等を刷つて見ま したが、それはトウトウ行はれませんでした、仍て、 私は今回は、西洋紙に、四號活字で印刷して、猶ほ日 本撰述の部を澤山入れて、完全な大藏經にしたいと考 へて居ますが、誰も之が、成功することを承認して呉れ ませぬ、尤も、誰が何と云つても、此の藏經の再版が 必要か、不必要かと調べたならば、?に必要のことに 違ないから、出来ても出来んでも、兎も角仕事の基礎 だけは作つて置きたいと思ひます、私もモウ七十を越 して、此様なことを企てるも、愚なやうではあるが、善 いことは、仕始めて置けば、誰か後継ぎが出来るでしや う、  ドウモ、年が老つて暗記の失もあり、十分満足を與 へるやうなお話の出来んのは、甚だ遺憾でしたが、ま づ大抵は、此様なことにして、猶は御質問に應じて御話


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