Info:ndljp/pid/887377/8

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郎君の事で御座ったよナ、ナニ男ハ一生船乗が海で死ぬのハ武士の討死と同様運が悪けりや畳の上でも夭死するし運が強けりや大風荒浪の其中を凌ぎ通して長生するもの此の義右衛門も年ころ寄たれ武士の果なんの今更お止申ませう。是から愈々出世して山田殿見た樣に異國の王にお成なされましシテ又どうして今度ハ江戸表へ御出府で御座りましたか徳兵「されバサ公儀より仰出された伽羅の御用それに此度御本丸の御普請に御入用の唐木類異國にて買入て永寶丸に積入れさせ八月七日に長崎を出帆なし下の關堺下田に船繋りして當月十三日に浦賀へ入津し御用品を相納め向井將監どのの御船御用殊にハ上野殿(御老中本多上野介)より出府と常の御奉書到来それで一昨日出府いたし昨日ハ登城して御内用を承まはり今朝お暇下されて是より浦賀に立歸り追手次第に出帆の積なれバ豫て手紙で承知いたせし叟が住居無事な顔を見やうとて本町の旅宿へ歸ると直に其まま荷物ハ宰領に言付て先に立たせ共連ハ宿に待たせ余ハ是へ参つたじや、今宵ハ久し振で夜もすがら話し明し明日の朝早く浦賀へ出立いたすと仕やう義右「ソンなら郎君むさくろしくとも今宵一夜ハ此荒屋に御座りまして徳兵「いか樣左やう致すであらう」と下僕に打向ひ「其方ハ旅宿へ参り余は此に居る程に急用あらバ是へ知らせよ明日ハ卯の刻(午前六時)に發足いたすに由て供連ハ是へ迎ひに参れと申し付けい」と云ひ渡せバ下僕ハアツと答へて立去たり 夜もすがら圍爐裏に柴を打くべて渋茶を飲ながら徳兵衛は義右衛門を話敵に四年越の積れる話ども打語らひて徳兵「夫に付ても此徳兵衛は父母も無く兄弟もなく身寄にも友達にも頼みとすべきハ叟一人尤も此身の素性ハ二十五歳の暁に委しく物語って聞せんと豫ての約束、去ながら余も今歳が廿三誕生日ハ五月五日と聞なれバ今より僅か一年半に足らぬ月日強て其前に聞たいと云ふでハ無いが余も一寸下は地獄と云ふ船乗いつ何時鱶の餌食に成うも知れぬ身体、また叟とても次第に積る老の年壽命は千年萬年ながら頼み難きハ人の命モシ萬一の事もあつたら此徳兵衛ハ一生涯親の名さへ知らずに死ぬる詮ない身の上ナント叟よ同じくバ今宵その物語を仕て聞せてハ呉まいか」と話の叙に兼引バ。義右衛門ハ首を横に打振て「イヤイヤ廿五になつた暁に身の上の素性を聞せて遣て呉い其前にハ必らず明すまいぞと尊公の母御前が堅い頼み、委細畏て御座ると約束 <trjpft> 「天竺徳兵衛」: 前頁 | 次頁 近代デジタルライブラリーの当該頁へ <astyle><gstyle>新旧字混在</gstyle><kstyle>仮名遣い混在</kstyle><tstyle>Wikiのみ</tstyle></astyle> </trjpft>